2016年2月15日月曜日

「Hello, Worker」100万再生ありとうございますから流れるような自分語り

おかげさまで、ニコニコ動画に投稿した楽曲「Hello, Worker」が拙作の中で初めての100万再生を突破いたしました。



たまたま人類が五本指の手と二本の腕を持つように進化したために、たまたま地球文明に根付いた10進法において、位が一桁あがる程度のことで、999,999と1,000,000の間に何の大きな違いもありはしないのですが、それでも100万再生という数字には素直に喜びを隠せません。

この曲を投稿したのは2011年9月で、それから4年半、どこかで誰かが毎日少しずつ聴いてくれたおかげでじわじわと100万という数字に到達しました。今あらためて聴くと技術的に稚拙な部分も沢山あって、非常に恥ずかしかったりもするのですが……。

すでに無数の名作が存在し、また毎日アップデートされていく数多の音楽たちの中で、僕の曲を選んで長く愛していただいたことに、改めて心から感謝いたします。

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この楽曲「Hello, Worker」に関しては、共感した、励まされたという感想を沢山いただきました(そういう感想に僕も励まされています)。

僕はいわゆる就職活動というものをしたことがありません。なので、就活にまつわる曲書くのなんて詐欺じゃねえか!というような気もします。

幾つかのインタビューなどでも答えたことはあるんですが、この曲を書いた時分というのは、実際に自分自身会社の倒産によって失業中で、失業保険の手続き等々で池袋のハローワークに通っていました。ハローワークにはまあいろんな人がいて、小さな子どもを連れてやってくる若い夫婦や、窓口の係員さんを怒鳴りつけているおじさんなど、なんというか、あの人はどんな人生を送って今ここにいるんだろう、と考えさせられたものです。

この曲が生まれるに至った話をしようと思ったのですが、自分の人生について語らないとならないなと思って、ちょっとしたためてみようと思います。

途方も無くクソキモい自分語りなので、キモいなと思ったらどうぞスルーしていただければ幸いです。

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僕は富山の片田舎の生まれで、田舎暮らしがとても嫌いでした。

今ほどネット環境も整っていない時代で、何をするにも不便だったし、音楽をやりたいという気持ちがあっても楽器をやってる人も周りにおらずバンドなんかも満足にできない土地でした。

なので、大学は必ず東京の学校に行くと決めていました。進路相談のときには「何をしたいか」を訊かれたものですが、「バンドやりたいんで東京の学校行きたい」と答えるわけにもいかず、適当なことを言って誤魔化していたように思います。

今思えば、音楽やる=バンドやる=上京という発想も短絡的なんですが、当時はその程度の考えしかない程度に思い込んでたんですね……。

でも、それがモチベーションになって受験勉強を頑張れたように思います。校内でも1、2位の成績を修めるようになり、記念受験のつもりで受けた大学にたまたま合格し、大学進学と同時に上京しました。

田舎の高校生でもみんな名前知ってるような有名大学です。進学できて、当時は有頂天になっていました。入学当初は「自分は人生の勝ち組だ」ぐらいには思っていたし、このまま勝ち組の人生を送るんだろうと思っていました。

でも、中々そうはいかないのが人生でした。

片田舎の一高校では一番勉強ができたとしても、全国からそういう人間が集まるわけですから、学力的には当然落ちこぼれます。大学のサークルに入ってバンドをやったりもしていましたが、鳴かず飛ばず、周りからの評価もついてきません。

そもそも学業へのやる気も持たず、やりたいことであったはずのバンドも思うように行かず、有頂天から一転、どんどん鬱屈とした毎日を過ごすようになりました。

そうして、大学3年の前期のころは、ほとんど学校に行かなくなりました。それまでの人生の中でも最も大きな挫折です。素人判断で言えばスチューデント・アパシーというやつだったのかなと思います。

当時は本当に鬱々として、どんな励ましの言葉も耳に入りませんでした。自傷行為などには至りませんでしたが、それでも生きるのがつらいという気持ちで毎日を過ごしていました。その時に身につけた自分なりの防衛機制なんでしょうか、どうせ死ぬなら死ぬまで生きよう、やりたいように生きて死のう、と思うようになりました。人生嫌になったら死のう、と心に決めたことで、少しだけ心が軽くなったような気がします。

まあ、そんなわけで単位もろくすっぽ取れてない学生ですから、一年留年して大学を卒業するわけです。就職を真面目に考えるべきタイミングで心を一番やっちゃってたので、就活などというものとも向き合わず、なんとなく大学を卒業し、なんとなく当時のバイト先でそのまま働き続け、モラトリアム延長戦に突入したわけです。

そして冒頭に戻ります。
会社が潰れて失業者になった僕はハローワークに通います。

そこで履歴書の経歴を埋めながら、志望動機、資格、そんな項目を埋めながら、今までの人生の中で自分がやりたかったことってなんだっけな、今の自分にできることってなんだろうな、昔想像してた将来とは随分違ってしまったな、何が正解だったんだろうな、どこで間違えたんだろうな……等々、自分の人生について嫌になるほど考えさせられました。

僕にとっての「何がしたいか」は音楽ではありますが、じゃあ音楽を作っているだけで幸福か?といわれると、そんなに実直なわけでもありません。売れたい、人気者になりたい、もっと沢山の人に聴いてほしいという卑近な欲求は常につきまといますし、それが叶わなければ悔しさも生まれます。こんな悔しい思いをして続けるのが僕のやりたいことなのか?と思ってしまう瞬間もあります。

では「何ができるか」を考えたとき、僕は何か手に職を持つわけでも、商才があるわけでもなく、特別な技能や資格は何も持ち合わせていません。そんな自分でも、僕の作った音楽を聴いてくれた人が好意的な感想を述べてくれると、もしかしたら音楽の才能があるのかもしれないなんて思い上がったりもします。それでも周りを見れば、僕よりも遥かに豊かな才能で、自分には困難でとても乗り越えられない壁を軽々と飛び越えていってしまう才人たちがいます。そんな人たちを見るたび嫉妬と惨めさで気が狂う思いです。

それでも、音楽で何かを表現したい、自分自身を表現したいという気持ちがなくなるわけではありません。特別な才能を持たなかった僕だけにしかできないことが何かあるんじゃないか、凡人にしか見えない景色だってあるんじゃないか、その景色をなるだけ仔細に描くことこそ僕ができる表現なんじゃないか、といつからか思うようになりました。

誰からも必要とされず、誰からも特別とされず、B4の紙切れに収まる程度の惨めな僕の人生でも、もし同じように自らの人生に惨めな気持ちを感じている人がいたなら、それを共有することで何かお互いの人生に価値が生まれるんじゃないか。僕の人生があなたの人生に、あなたの人生が僕の人生に価値を産んでくれるんじゃないか。

そういう気持ちで書いた歌が「Hello, Worker」です。

結果、どれだけの価値を産むことができたのかはわかりません。数字なんて結局数字で、人の心は数字で測れるものではありません。

ですが、100万再生という数字の中に、誰かにとっての何かの価値が存在していてくれたらな、という気持ちでいます。

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今までの人生で何が成功で何が失敗なのかは今でもわかりませんが、ボカロに出会えたのは、間違いなく幸運であったと思います。VOCALOIDの歌声を通して、自分の音楽が想像以上に多くの人の元へ届いたことが、今の僕を支えてくれる生きがいです。

これからも、誰かに支えてもらいながら、いつか誰かを支えることができるように、自分なりに音楽を続けながら死ぬまで生きようと思うので、どうぞお付き合いいただければと思います。

ではでは、今後ともよろしくです!

そして僕のCD買ってね!!

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